ひなぎく心理ルームでは臨床心理学の立場から、いろいろな心の「悩み」や「葛藤」、「違和感」などに対してお話を充分にお聴きし、共に見つめ、整理しながらカウンセリングを進めていきます。
<< 面接技法 | main | 愛おしいものにかける言葉 >>
打って出る
6日、日曜日の私設心理相談研修会から早一週間が経とうとしておりますが、信田さよ子先生のお話の中で
ビビビッと、刺激を受けたことについて、書かせていただきたく思います。

それは、このタイトルにある 「打って出る」 という言葉でした。


色々な話をされている最後に、「打って出ないとー!」と、さらっと発言されました。

さらっと発言されたのですが、今後の臨床心理士の未来を見据えて考えると、とても重い言葉に聞こえました。
 重い言葉だったのではと想像します。

質問1つ、働きかけ1つをとって考えてみても、個人面接での心理的動き、グループなどの集団の動き(力動)、組織の中での働きかけ、多機関との連携時の働きかけなど、場面によってその方法や対象は多少変わってくるとは思いますが、なにがしかの働きかけを、それも心理的側面を見据えてその個人もしくは集団の力動をどう変化させていくかという視点で働きかけていくという点においては共通で、大なり小なり打って出るわけです。


もちろん、何もしないという形でいることで意味をなそうとすることも1つのやり方(療法)としてはあるわけですが、それも見立てたうえで、戦略的に行われているのであります。


カウンセリング・・・、話をただ聴いてもらうだけ?


そんなイメージを持たれる方がほとんどといっても過言ではないのではないでしょうか?

もちろん話は聴きます。

ただ、 ただ聴いているのではなくて、なにがしかを知っていきたい意図を持って聴いており、何を知りたいかは、どのような理論(戦略でもいい)をもっているか、何を明確にしょうとしているかによって違ってきます。
もちろん、我々が知って終わりではなく、クライエントやその集団・組織に役に立つところまでの変化を実感を持って感じてもらう所を目指すわけです。

そこに専門性が介在せず、もしも、ただ聴いているだけなら、何だか分からないけど・・・、どうなんだろう・・・? となり、少なくとも高いお金を払うことはないのではないでしょうか。

「打って出る」 とは、なかなか大胆なイメージを持つ言葉のように聞こえますが、私が想像するに、それはそれは細やかな配慮と繊細さと、専門性に支えられた究極の技のなせる業なのだと思います。(笑)

大きな失敗は許されませんし、 
当たり障りのないことに、専門性は存在しません。


外科医がメスを持って執刀するならば、専門性と技術がいるわけです。

ただ、初期の盲腸の手術で数仟燭切開してしまった・・・は、素人が想像するにもあるでしょう。

しかし熟練していき、難易度の高い手術も経験する中で、その人の命を間近に感じながら執刀する、まさしく打って出るわけです。

そうしないと、事態は変化しないのです。



心も同じことなのです。



目に見えない心を対象にしているだけに、当たり障りのないことでは、臨床心理士の仕事を理解していってもらうのは難しいのだと感じます。

そういった点では、学校現場や企業に入って異業種の臨床心理士が仕事をすることや、事件・事故・犯罪などによる個人や集団を対象として、心理的ダメージをケアするために活動する「緊急支援」などは、われわれの専門性を分かりやすく発揮する活動なのだと感じて、日々頑張っております。

長くなりました。

では、この辺で失礼致します。


ご精読ありがとうございました。





| 私の思考 | 21:59 | comments(0) | trackbacks(0)
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://myamiho.jugem.jp/trackback/996035
トラックバック
CALENDAR
S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< September 2017 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
LINKS