ひなぎく心理ルームでは臨床心理学の立場から、いろいろな心の「悩み」や「葛藤」、「違和感」などに対してお話を充分にお聴きし、共に見つめ、整理しながらカウンセリングを進めていきます。
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「知っていること」の障り

みなさんは自分が何をどれくらい知っていると思われますか?

これは愚問だと我ながら思います。
もし自信をもって答えるなら、それは知るべきことがこれくらいだと推量できているとの感覚(万能感)が存在することを証明するに過ぎません。ごくごく限定的な問い(範囲)をはっきりさせた上での答えなら考える余地はあるかもしれませんが。

限定された範囲であっても、自分は「知っている」と思うことでの安心や慢心や自負、さまざまな思いがそこにはあることでしょう。本当に「知っている」ということはまだ知らないことが山ほどあることも同時に知っているこころでもあるでしょうし、そうでないなら、それは「知らない」ということに耐えられないがゆえの「知っている」であり、成長やその変化を妨げる障りとなり、時としてこころを偏狭にすることでしょう。

私は小さい頃、母親に理不尽と思うことについて意見した時、「大人はいいの!」という答えを何度か聞いた覚えがあります。
昨今のように情報があふれる社会ではありませんでしたので、「大人の世界」というものに対する畏れがありました。
そしてまた大人になったら、自分で選択できる自由があると、その行く末に「大人になったら・・・」との思いを持ったものでした。
それは炭酸のジュースを飲んでみたいだとか、ハムをたっぷり食べてみたい(身体にいいものをとの母の考えであまりたくさんありつけなかったものたちです)だとか、そのようなかわいらしいものですが、それは大人になって行くことの原動力にもなり、そうこうする中で欲求不満に対する耐性も付き、社会での職業人としての適応力も備わる一助ともなるのだと思います。

学校という現場で今の子どもたちを見ていると、情報に圧倒されて、そのことでの傷つきをなんとか癒すために、さらに情報を貪り、さらに傷つき、最後には躁的・うつ的に防衛するしかないような光景を目にすることがあります。
時期尚早に知ってしまうことの障りはことさら深刻に感じます。

そして若年者にとっての「知ってる」という思いは、大人社会へ進んで行くことの意味を奪ってしまうかのようです。

どんどん内容は深まって行きそうですが、ここで浮上します。

子どもたちという視点で「知っている」ということについての障りを考えるならば、私はひとりの大人として、目を輝かせて知らないことに好奇心を持ち、歩んでいくことの楽しさや喜びを感じさせられる人になりたい。

そうありたいです。

でも難しい〜〜(笑)  苦もまた友達です。

ご精読ありがとうございました。


 

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