ひなぎく心理ルームでは臨床心理学の立場から、いろいろな心の「悩み」や「葛藤」、「違和感」などに対してお話を充分にお聴きし、共に見つめ、整理しながらカウンセリングを進めていきます。
<< 虹 | main | ヒミズ  >>
転移・逆転移・転移解釈について思うこと

昨年の5月11日に記載した「転移・逆転移・中立性について思うこと」(カテゴリー<私の思考>で見てもらえると1ページ目です)が、数ある記事の中で常にアクセス数が多く、そのことを思うと削除することも考えましたが、ひとまず新たに書くことにしました。(2013年1月、この記事については非公開にしております。悪しからずです。)


削除というのは、私自身の向き合えなさがどこか半分茶化しているような文章の感じに見て取れ、その内容もすべてではありませんが、ある部分においては今の私にとっては、痛く恥ずかしい感じがしているからです。
それも成長過程の私ゆえ、それはそれでありのまま・・・と考えます。

が、このような自己開示をしながらの仕事・・とした私の考えが、今は、変化したということも同時にお伝えしなければなりません。

私は転移や逆転移を認識はしながら仕事をしていましたが、少なくとも転移を利用しての精神分析的なやり方を行ってはいませんでした。
転移解釈を軸として、自身の身をその転移の器として機能させることはしていませんでした。

そのような形でしか成しえないことの奥行きと壮大さにまったく気が付いていませんでした。
もちろん、今でもまだまだ知りえないことだらけであることは言うまでもありません。

私自身が精神分析を体験することによって、たった1回、初回の分析体験で私の今までの認識が覆るには充分でした。
私がそう感じたのは、私がそのようなものを無意識下で求め続けていたからにほかなりません。
衝撃でした。

今は、自己開示(もちろんクライエントの話に沿ったものですが)について、実感として不要と感じています。
乱暴な言い方をすると、たいしてクライエントの役にも立たず、自己も開示せずふんぞり返っていて何なのか?せめて、クライエントの役に立つ形の精緻された自己開示ならいいではないか!と、思っていました。

繰り返しますが、タイミングやその意味をとらえながらの、あくまでも精緻された自己開示です。
私にとっては、このことはきっとたやすかったのです。
研鑽もしてきましたし、一定のレベルの仕事は出来ていたであろうことは、当ルームが、7年存続しているということが証明してくれるものであるとも。

しかし、私自身が立ち入れなかった私自身の無意識の領域が私の手の中に入り始めたとき、同時に私の求めていた私自身の臨床のありようがはっきりとつかめたのです。

頭の先から爪の先まで、クライエントのために存在するということが、どういうことなのかということが。

こうやって、自身の考えを述べていくことをしている私は、引き続き自己開示をしているに他ならないと自覚しております。

ただ、今まで公に出してきた以上、それなりの形をもって整理していきたいという思いがあり、恥ずかしながら表現しております。

このブログは、当ルームを知っていただくための「広報」として位置付けていることも事実ですし、その点においては、アクセスの期待できる題材や、スケジュールなどは、細々と当面は存続する予定です。

お年賀でも、ブログを見ています・・・と、このブログの中で、当ルームに思いを寄せてくださる方には本当に心苦しい限りですが・・・。


転移・逆転移を感じながら、転移解釈をするという精神分析のなんたるかを、実感として感じている私がいます。もちろん私なりにですが。

お題にはしたものの、実感しているとしか言いようがないのは稚拙で申し訳ありませんが、かりに言葉にできたとしても、私の私的な感情は(公には)私の中にとどめるべきものだと思っています。
今はそう思うようになりました。



まして専門的なことを流暢にかたる知識はまだありません。



ご精読、ありがとうございました。





| 私の思考 | 22:33 | comments(0) | trackbacks(0)
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://myamiho.jugem.jp/trackback/1100058
トラックバック
CALENDAR
S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< December 2017 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
LINKS