ひなぎく心理ルームでは臨床心理学の立場から、いろいろな心の「悩み」や「葛藤」、「違和感」などに対してお話を充分にお聴きし、共に見つめ、整理しながらカウンセリングを進めていきます。
続・勉学の秋

お待たせ致しました・・・か、どうかは定かではありませんが(笑)、

日本精神分析協会 精神分析インスティテュート福岡支部 主催

「ルディ・ベルモート先生セミナー」参加のご報告申し上げます。

 

講演は「こころの機能と心的変化:ビオンの業績に基づく統合的アプローチ」でした。

そして討論を、松木邦裕先生が勤めてくださいました。

講義内容が臨床実践を軸にまとめられていたので、脳内をフル稼働させて何かを感じとろうとしている私がいるようでした。

そこに記述されることのこころの水準の近似が自身の臨床の中のどこにあるのかと、考えるともなく考えながらいました。

松木先生の討論が始まり、ルディ・ベルモート先生の講義内容をさらに変形して伝えてくださることで、形が見えはじめ、さらなる問いや、私なりの仮説が浮かびはじめます。

「退行」か「転移」か、ベルモート先生は「退行」という視点を軸としたので、長期休暇中の「構造化された15分の電話でのやりとり」がその文脈の中でなされたのではないだろうか、これが松木先生が言われた「転移」を軸とすれば、電話のやり取りはまずもって発生しないだろうと私は思いました。すみません。読み手を広く意識せずに好き勝手な記載悪しからずですが、続けます。

若かりし頃、私がアウトリーチで統合失調症の患者さんと面接をしていた時、机を指で小刻みにトントンたたく彼のリズムに合わせて(ベータ要素の世界)、私は私の膝を自身の手でゆっくりトントンして(赤ちゃんを寝かしつけるトントンのイメージで)非言語的な交流をしていたこと、面接ではない精神障碍者の作業所の空間での交流などに講義内容のある側面についてはイメージが向かいました。そして精神分析の臨床の場面に思いを馳せます。その場でのこころの水準について、治療者側が近似のイメージを共有して語り合うことそのものも本当には、難しいことであるとの思いを改めて感じた次第ですが、その壁を限りなく低くして、そしてまとまりのある問いを私が発見するところまで、松木先生の討論内容と配布資料が導いて下さいました。☟☝⇄空間、自由、無限の中にある言葉にされた内容。かっこいい。

 

こころの言葉にならない水準を扱うということについて、ひとつ私が思うのは、クライエントは自らの意志で構造化された枠の中で自身のこころに取り組むことを開始できる、その能力をすでに備えているという事実であり、それは先の私の交流のあり方とは異なるということです。ここからは、ちょっと広がるので、もうおしまいにします。

 

福岡で開催された講義でしたが、その後、佐賀に足を延ばしました。

17時31分の電車で1時間と少し。

途中、こころ模様は「苦しみ・痛み・かなしみ・よろこび・感謝」と深く変遷しました。

この世界はグリッドでいうならどの世界・・・、別世界?など、不可知な領域に思いを馳せたときでした。

しかしながら実は、この不可知なことにも、私なりの仮説をことばにおとしています。

このことと、精神分析実践はそんなに離れていないとも思っています。

 

長くなりました。

これ以上、迷宮の記載が増殖することは避けなければなりません。

というか、お腹が空きました。(笑) おもしろいなぁ。

ホントに自分というものには手がかかりますね。

 

貴重な講義を受講でき、ルディ・ベルモート先生、松木邦裕先生をはじめ、福岡支部の諸先生方にこころから感謝です。

 

ご精読、ありがとうございました。

 

| 昨今の私 | 13:48 | comments(0) | trackbacks(0)
勉学の秋

秋です。

10月のセミナーをこころまちにし、そのうちのひとつが過日東京で行われました。

 

それは、日本精神分析協会主催で「ビオンから学ぶ」と題されたものでした。

学び多く、こころが弾みました。

松木邦裕先生が総合司会と『ウィルフレッド・ビオンの人生と業績』の紹介をしてくださり、午前には福本修先生が『ビオンの集団経験再考』と題して、

午後には平井正三先生が『ビオンの思考と関係性の理論』と題して、

藤山直樹先生が『私たちの実践への後期ビオンのインパクト』と題して講義が行われました。

日本でのビオン理解を深める為の知識の宝庫である錚々たる先生方であり、なんとも贅沢なことでした。

 

そして最後に40分程の時間を使って、講師と参加者による全体議論がありました。

4名の先生方が並んでおられる光景の記念写真を頭の中で撮りました。(笑)

学会のシンポジウム等の大会場ではないので、講義の内容以外の様々なことが直に感知され、多くの学び・資料が得られました。

難解と言われるビオンの理論ですが、臨床経験から発現する「問い」が先行してあれば、すっとなじむ内容も多く有るというのが私の実感で、何よりも私自身のこころの軌跡の内容が、そういうことだったのか!!とビオンの理論で理解ができることの多さに、今となっては笑みが零れ、目から鱗が落ち、さらに楽し気にうろこが舞い散るようでもあります。(笑) そう思え、自身のこころの軌跡を資料とし得るのは個人分析の賜物でもあります。

 

楽しく幸せなときでした。

ビオンのグリッドの醍醐味を味わい、その意義を再認識するときともなりました。

私なりの探索ですが、もの思う探索はこの上ない充実感を私に与えてくれます。

諸先生方に感謝です。

 

今週末は、後期ビオンを語る世界的第一人者であるベルギー精神分析協会訓練分析家の

「ルディ・ベルモート先生」のセミナーを受講予定です。

学びの秋を満喫していますとのご報告でした。

 

それでは、これにて失礼します。

いつもお立ち寄りいただきありがとうございます。

 

 

| 昨今の私 | 10:47 | comments(0) | trackbacks(0)
今日から7月

今日から7月、そして、今日は日曜日です。

 

日曜日の休日って、こういうものでもあったのか…と、

今日生まれて初めてと言っても過言ではない感覚を味わいました。

それは単に、「相当のんびりと過ごしたのです」というだけのことなのですが。

 

昨年度までの外勤にまつわる勉強会が無くなった分、

純粋な休日が発生しています。(笑)

なので、味わえた感覚ですが、それ程に人は似たようなパターンで、

相変わらずの生活様式を繰り返して生きているのだと、

つくづく感じ入った私です。

 

時と共に様々な生活環境の変化がありましたが、自身の性質の拠るところで、

よく言えば精一杯ですが、実際はあくせく生きて来たことは否めません。

それが不満と言うことでは全くありませんが、少し変わっていけばいいと思います。

変わっていくなら面白いと思います。

 

それは、今までにない人生です。

時が進むということは、常に今までと違うということですが、

今日、また一つ、知らなかった感覚を知った私です。

 

のんびりして思いを馳せたり、

「○○ってどうだったっけ」と、20数年間にわたって不動の愛読書となっている、

主婦の友社の「エネルギー・塩分・栄養素がすぐわかる 食品と料理の成分早見表」を、

手に取ること数回。(笑) そんな一日でした。

 

「お立ち寄りいただき恐縮です」とお詫びしたいほどの内容で恐縮です。(笑)

 

全国的に暑く、自然災害も色々と発生していますが、

皆さまにおかれましても、どうぞお身体大切になさってください。

 

お立ち寄りいただき、ありがとうございます。

| 昨今の私 | 18:10 | comments(0) | trackbacks(0)
研鑽の意義

始めにお詫びとお断り

お詫びは、2ヵ月もアップが叶わず、ご無沙汰して申し訳ありませんでした。

お断りは、硬いお題ですが、内容は緩い、とのことです。(笑)

 

毎年、5月・6月は忙しく、今年は開業のみ稼働ゆえ、そうでもないかと思いきや、

5月に関しては忙しいことになった次第です。

研鑽がらみでの多忙は充実感がありいいものでした。

 

少し前の朝の連ドラの話になりますが、

有名漫画家に弟子入りを指南された主人公の女の子が「漫画家になる!」と言い、

母親が「そんな競争の世界でやっていけるわけがない」と、娘をたしなめます。

それに対して「漫画の世界は競争の世界じゃない夢の世界や、私は夢の種を手に入れたんや」

と、主人公の女の子は答えます。

また、中村雅俊扮する祖父と父親が、娘が漫画家を目指すことについて話し合います。

賛成の祖父は言います「この年になるとなぁ、先が分かる。先が分からんと言うのは最高に贅沢な気がする。夢は見てるだけで贅沢や」

父親「かなわんでもか?」

祖父「おう、その時間がいい。夢見てる時間だけでももととれるな」というものです。

 

で?、と言われるとなんですが、印象に残りました。

何故印象に残ったか、

お題は「研鑽の意義」ですが、精神分析の研鑽を本格的にはじめ、

歩みを進めるに連れ、感じて来たことを改めて意識する機会になったからのようです。

つまり、研鑽は競争ではないということ。

もちろん、研鑽の意義は「臨床力の向上に尽きる」のは、

私を含む同業者の共通認識であることは言うまでもありません。

と、少なくとも私はそう思っています。

 

そして自分の足元を見れば、人生の折り返し地点はとおに過ぎ、

先が少し見えるようにもなってきています。

暗い話しではないです。(笑)

それでも、精神分析の学びには夢があると言いたいのです。

 

私は心理臨床家なので、精神分析理論は現場での一期一会に照らされます。

臨床を照らすことが、私にとっての研鑽の軸といえます。

あっ、ちょっと硬いか…。

 

これ!と思う、精神分析理論との出会いで、私の人生の歩みが、

少々先が見えていても(笑)夢あるものになり、

研鑽による気づきから臨床知が広がる、その喜びは計り知れません。

ここに夢があります。

幸せなことです。

この度も、肌寒い午前中、お気に入りのストールに身を包み、

幸せな研鑽に励みました。

よって、アップが叶いませんでした。

えっ、最終、言い訳。

はい。

こんなまとまりのあるような無いような、アップとなりましたが悪しからずです。

 

お立ち寄りいただき、ありがとうございます。

 

| 昨今の私 | 14:32 | comments(0) | trackbacks(0)
クロストリジウム菌とTレグさん

何? なに?

NHKの「人体」シリーズ、ご覧になっていた方は、きき覚えがおありかもしれません。

全7回シリーズで、タモリと山中伸弥教授が司会で、「人体」にまつわるミクロの世界、

現代科学の最先端が紹介されたものです。

 

非常におもしろかったです。

実際の細胞内の映像が高センサーや顕微鏡で捉えられ、私たちの身体の中で繰り広げられる営みが、感動をもって理解されました。

シリーズ全体を通して、身体の各臓器同士が脳とは関係なく「メッセージ物質」をやり取りしているということがテーマで、どの臓器がどのような働きをしているのかということが、取り上げられていきました。

 

第4集は、「腸」が取り上げられ、ここで扱われたのが、表題のお二方です。

かっこいいのです。(笑)はまっています。

まずは各臓器の中でも「腸」は別格、第二の脳と紹介され、神経細胞が脳に続き多く、人体の独立国家だそうです。

腸では、全身の免疫を司り、コントロールして送り出しているとのこと。

体内に入ってきた細菌をただ攻撃するのではなく、敵と味方をより分けたり、

「落ち着いて」とのメッセージ物質を出して、免疫の暴走を押さえるなど、攻撃役とブレーキ役をその巧妙なやり取りでコントロールしているというのです。

 

免疫の暴走とは、アレルギー(反応)ですが、腸という水戸黄門が、腸内細菌という助さん、免疫細胞という角さんを従えて、どう折り合っているのかという物語です。

シリーズ第7集、最終回に、ガン細胞が「攻撃を止めて」とメッセージを出すと、免疫がそれを聞き入れて攻撃を止めることがあると紹介され、それぞれの細胞が意志を持ってやり取りしていることなんだと、理解されました。

そうなると、是非とも我々の「腸」さんには賢く有ってもらわねばなりません。

 

免疫の過剰な暴走を抑えるとても賢い免疫細胞「Tレグ」さんが発見され、そのTレグさんを誕生させるのが、クロストリジウ菌なのだそうです。クロストリジウ菌といってもその種類は100種類もあるそうで、その中のひとつなのだとか。

そしてここからが大事なところですが、クロストリジウ菌が「落ち着いて」との物質を免疫細胞に届けて、Tレグさんを誕生させるにはその栄養となる「食物繊維」が必要なのだと。

クロストリジウ菌がないことで難病が発現しているとの仮説により治療が進められていることや、日本の若い修行僧のアレルギーが精進料理によって改善していることが紹介されます。

なんと、日本人のクロストリジウ菌は世界平均の4倍という数字が示されました。

なので長寿なのかもしれませんね。

ただ、現代の食生活が日本人の培ってきた体質の恩恵を崩し始めているかもとも言われます。

 

私事ですが、いままで身体に入れるものは良いものをとの意識は母親のお陰で強くあったものの、さすがにここまでの認識、意識はありませんでした。

これらの情報を機に、食生活を変えました。

朝食には玄米を、お昼は消化のよいもので、夕食は軽め。

いい感じです。

今の時期、食材も美味しく、毎日の食事が楽しみでなりません。

美味しいものは、美味しいですね。

そして体が喜んでいるのが分かります。

身体の中に何を送り込んであげるか、それは意識的に考えられること、その後はお任せです。

機嫌よく快調に働いてくれていること、

優秀な「Tレグ」さんに感謝です。

 

そうそう、腸さんには訓練場があり、わざわざ細菌を取り入れて、免疫細胞に細菌の色々を学習させることをしているそうです。

そうして学習した免疫細胞が全身に送り込まれるのですって。

一度、学習したいい形を、維持し、遂行していってくれる身体さんに、絶え間なく良い食材を提供していくこと続けたいと思います。

 

クロストリジウ菌さんとTレグさんに良くしていただいているお話でした。

| 昨今の私 | 17:42 | comments(0) | trackbacks(0)
何が本物?
毎月の予定以外のアップは、いつぶりのことでしょうか。
しかしながら初めにお詫び申し上げておくほどに、なんてことない、もって行き場のない思いを、ぼそりと、こぼすだけの内容です。

悪しからずご了承くださいませ。
「信じる者は救われる」という言葉があります。
個人的にも信じられるという力は尊いと思います。

そしてそれと同じくらい、それが疑念であったとしても、それを感じるなら、その自身の感覚に素直にあるということもまた大切に思います。
そこは、ビーフシチューが美味しいというお店、しかし残念ながら私の味覚には合わず…、少々がっかり。
コースの中に出てくるので、それがメインということではないのですが、全体に普通な感じで、そのお料理の流れから、そんなには期待を持っているものではありませんでしたが・・・。
私の舌にそのビーフシチューはどのように分析されたか。
缶詰めのデミグラスソースを牛乳と生クリームで伸ばすだけ伸ばして、その中に缶詰のコンビーフを混ぜ合わせ、はい!出来上がり。
私に感じられた事実はそのようなものでした。
付け合わせのパンも、近年ないほどの・・・。

でも、美味しいと思えばそう思う人にはそれが、ビーフシチューというものになる、それが本物になる。
それで何が悪い? なにも悪くない。そう、何も悪くない。
一人以外はみなグルで、行われる実験。その一人以外は不正解を正解という。するとその一人もつられて不正解を正解とする。
人はみな不安で、だから群れる。
群れて同じ方向を向いているとそれだけで安心。

一人の不安には耐えられない。
もちろん私も例外ではない。

ただ、自分がこうだと思うことを思い続ける勇気だけはもち続けると、常々思っているし、それが私なので、変えたくても変えられないという真実が、逃れようもなく横たわっている。
私が本当だと、本物だと感じることが私に勇気をくれるし、支えてもくれる。
それは決して、心地いいだけではない。むしろ苦悩の中にこそ真実があると実感している。

それを感じるその瞬間に、何とも言えない有難さと、尊さと、愛しさが行き過ぎる。

残念ながらこの度出会ったビーフシチューは、愛せなかった。
というお話でした。(笑)

お付き合いいただき、ありがとうございました。




 
| 昨今の私 | 23:03 | comments(0) | trackbacks(0)
きずな
今日は日曜日、ひなぎくでの事務仕事もあったのですが、室内で作業する気にならず近隣への外出をしました。

道の反対側、若い男性が2人、しゃがみ込む老夫婦を前にあわてた様子です。
一人は携帯で何やらあわてて話をしているようです。
救急車を呼んでいるな、と思いました。

私は自転車をおり、信号をわたり近づき声をかけます。
「どうした?救急車呼んでくれた」
「はい、今」 「ありがとう」

ご老人の前には血が滴った後が広がります。
両ひざをつき中腰で、左手には杖をもち、前かがみになったまま血がぽたぽた落ちています。
若者が出してくれた1〜2枚のティシュはすぐに赤くなり間に合いません。
こんなこともあろうかと思い入れているわけではありませんが、いつも一つは未開封(と言っても厳密には隙間はありますが)
のポケットティシュがちょうどあったのでそれを丸ごとあてがって救急車を待ちます。
左顔面のぽっぺと特に目の上をひどく切っておられるようでした。
前かがみの状態なので頭が下がっていて、止血の妨げかと思い「頭もう少しあげられますか?」と声をかけますが、ほんの少し動かされるだけで放心状態な感じです。
とても体格のいい方でしたので変に動かれてバランスを崩されても、私も支える自信がありませんでしたので「そのままでいいですよ」と伝えます。
「気分悪くありませんか」というという問いかけには「大丈夫です」とか細くですがくり返し答えて下さいます。
おそらくこけた後、立ち上がろうとしたけど血が滴り落ちる状況を目の当たりにして、どうしていいかわからなくなり茫然自失となられたのだと思います。

通報をしてくれた青年たちも、こけられたところは見ていないと、ご婦人の方も左の額を打たれて切っておられます。
幸いご婦人のほうはすでに出血は止まっているようです。
ご主人の止血のお手伝いをしながら、ご婦人に聞きます。
「どうされましたか?」
「ここを曲がろうと思ったら…」と。
曲がれなかったのか・・・と内心思う私です。 
「足腰が悪いもんで…」と。ふるえるような声で言われます。

ご婦人も手には杖を持っておられます。
ご夫婦とも白髪で品のいい感じです。
お年は相当召しておられるようでようです。
90才近いのではないかと思うほどです。
仲良くお二人でお散歩されていたのだろうなと想像します。

ほどなく救急車が到着します。
20代とみられる隊員がだらだらと3人出てきます。

救急車はすぐ前に止められるのに離れて置き、会社の出口をふさいでいます。
下ろされた寝台も立てなくなっている老夫婦なのに離れて置くので私は思わず「もう少し近くに持ってこられたらどうですか」と。すると「押さえますので」とわけのわからない屁理屈が返ってきます。
明らかに寝台を抑えるのではなくて負傷者に手を貸してのせてあげないといけないのに…。
それに寝台にはロックがあるでしょうよと内心思う私。
そして、出口をふさがれた会社の方に「救急車のけてもらえませんか」と言われるしまつ。
「すぐにのけますので」とえらそうに返答しています。

3人も隊員が居るのに一人は救急車に戻ってしまうし(病院の手配をされていたのでしょうが)、まずは救急車にご婦人にのってもらおうということになって、後ろから隊員の一人が抱えようとし、私が、右手でご主人の止血を続けながらご婦人を前から左手で支えるという塩梅になっています。
なので私の上着の左手には(ご婦人も出血されていたので)、血が沢山つくこととなりました。
上着が黒だったので良かったですし、致し方ない事ですが。(その後の対処はちゃんとしましたのでご心配なくです(笑))

ご婦人が立ち上がろうとされるとき、ご主人の肩をギュッと握りしめられます。
立つための支えにするというよりは、ギュッと握りしめられるという感じなのです。
しかし、後ろから隊員の方が立ち上がらそうとされているので、ご主人の方にもおのずと体重がかかることになります。
私はご婦人に声をかけます。
「ここ離してください」 
それでもしがみつくように握っておられます。
私は思います。頼っておられるんだなぁと…。
それでも現実には、ひじを曲げたまま肩を握っていたのでは立ち上がれません。
優しくご婦人の手にトントンとタッチしながら、
「ここ離してください、離して…」

幸いご主人の出血も止まったようでした。
お二人とも半ば放心状態でうなだれておられるご様子でした。

現実問題はさておき、
うなだれて血を流すご主人と握りしめるご婦人のその手にこころが動かされました。

私もしばし放心状態となり、なぜ自分が外出したのかわからなくなりました。
もちろん、すぐに思いだし向かいましたが。(笑)


これからも寄り添いながらさらなる時を重ねられるのだろうなと思いました。


私にとって象徴的な側面のある出来事でした。




 
| 昨今の私 | 22:58 | comments(0) | trackbacks(0)
おみくじ
初詣、賀茂御祖神社(通称 下鴨神社)に行った際、おみくじを引きました。

私がどこでもおみくじを引く人かと言えばそうではありません。
下鴨神社のおみくじだから引きます。
なぜなら、その初めにことわざがあり、その言葉との出会いがちょっと楽しみだからです。

今年は下記のようなものでした。

 苦悩は流動への拍車である そして活動の中にのみわらわれは我々の生命を感ずる 
     ――カント――

なんとも素敵な出逢いに感謝です。
どうやら今年も頑張れと言われているようです。頑張って参ります。

ちなみに前回のおみくじは昨年の年度途中に行った時のものなのですが、
 富への途はもっぱら二つの言葉にかかっている 曰く勤勉と倹約 
     
――フランクリン―― でした。

それでは、苦悩しながらの勤勉活動に戻ることといたします。(笑)


インフルエンザが流行り出しました。
どうぞ皆様もお気をつけくださいませ。



 
| 昨今の私 | 22:00 | comments(0) | trackbacks(0)
祇園祭り
 京都は祇園祭でにぎわっております。

私は13、14、15、大阪、京都、大阪と勉強会続きでしたが、14日のお昼に鉾をいくつか見て「鱧」をよばれ、(よばれ・・・とは「食べて」ということですが方言?)勉強会後、夜には姪っ子と姪っ子宅近くの鉾を見にまた出かけました。

京都に住んでいて、今までで一番ちゃんと鉾を見た経験かもしれません。(笑)

ただ、雷雨にそなえ(現実にも振りましたが)鉾がみな合羽を着ているのが、そのあでやかさがくもるようで少し残念ではありました。

鱧ご飯はとってもおいしく、京都らしく白みそのおつゆ(お味噌汁)でまたこれも美味でした。


しっかりとした体調管理に心の栄養を取るための動きも大切にしながら参りたいと思います。


またいつものように音沙汰ないことでしたので、ご挨拶まで。


| 昨今の私 | 22:39 | comments(0) | trackbacks(0)
ピアノコンサート 
 ちょうど一週間前、5月13日(月)の夜、京都コンサートホールで行われたピアノコンサートに行ってきました。

かねてから行ってみたいと思っていた、フジコ・ヘミングさんのコンサート。

新聞の広告を目にしすぐさま電話にてチケットをゲット。
京都・東京・軽井沢の3ヵ所でいづれも一回のみの講演です。

良かったのは言うまでもありません。

バッハのカンタータに始まり、シューマン、ショパン、リストと続き、ラ・カンパネラが最終です。

それはそれは不思議な体験でもありました。

カンタータで、私の心はすでにその語りの凄さに圧倒されかけ、これは・・・・と、感動以外のなにものでもないのですが、終わってみれば私の心も半ば仕事モードをいれざるを得なかったのだろうとの感想を待たざるを得ませんでした。

それはあまりの痛さゆえです。

語るのです。それはそれは語るのです。
そしてその語りは悲しみ、苦しみ、怒り、慈しみ、憎しみ、情愛、それはそれは力を持って、エネルギーを持って。 しかし、音の中に力強くあるその音が、確かに私の耳に届き感動を与えているのに、それはまるで夢の中なのです。

私が音をとおしてその語りを聴くモードに入ってしまったがゆえの事なのだと思いますが、フジコさんは現実に生きているというよりは音の中に生きておられるから、私も一緒に音の中で揺れた感じなのです。
それはまるで、フジコさんのご自宅で演奏されているその背後で、そうか、そっか、とうなづきながら聞いているような。

人に聞かせるとか、聞かせようとか、そんなことではなくていつものように、いつもそうであるように今日もこうである私なのですよと。
フジコさんはただそういっているような。
このことはすごいことだと思います。このような状態で生きることもまたすごいことだと思います。

この日、コンサートに行くという事を言っていた方に次の日も合う事があり、感想を聞かれたのですが、もうすっかり忘れていたほどでした。
私は改めて、あ〜やっぱり夢を見たんだと思ったほどです。

つまり、私が夢見心地になってる世界はフジコさんが生きておられる世界ではないだろうか?というのが私の結論です。


しかしその演奏はすごかったです。


そこには、フジコ・ヘミングさんの人生がありました。


演奏後、関係者の方が壇上に上がられ、お前らは明日死ぬんだそ!!感動を持って死ね!!と叫ばれました。

あ〜、この方が現実の世界でフジコさんの感情の一部を表現されているのかなと、思わずにはいれませんでした。

 
私はどこで生きているか?

どこでもっとも生きているのだろう?

あらためてそんなことをおもいました。



また御縁があったらフジコさんの音の中の現実を通して、私の夢を一緒に漂わせたいと思います。






| 昨今の私 | 23:20 | comments(0) | trackbacks(0)
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