先の「ひなぎく心理ルーム2019年度の抱負」で、後に触れますとしていたことについて触れます。それは、私の心理臨床活動の中にある「私が扱うに得意とする通底する状況」と表現したことについてです。
改めてこの表現に向き合うと、得意という言葉を盛り込む、そのあまりの伸びやかさに我ながら圧倒されています。
自身に圧倒されていますが、その私は横に置き、私の発言の説明をします。
それは、ひなぎく心理ルームでの精神分析的心理療法の実践、不登校コンサルティング、里親カウンセリング、これらのすべてに共通し私が注目する、そのことが発生しているという現象でもあり、発生している困難な事態に変化をもたらすに必須のことでもある「破局」ということへの私の取り組みということです。
私がひとのこころの真の部分にかかわることの必要性を感じながらも、その術が分からずにいた時を経て、個人分析から多くの学びを得て、私は破局的状況そのものに内包された意味、そしてそれに耐えることの意義をしりました。
しかしそれは、クライエントとセラピスト双方にとって、困難きわまる道程です。
その困難きわまる道程の中にある、真の思いをかたる真の言葉に出会うために、何とか最善を尽くそうとする私です。
ただ、私という個人は多くの限界を抱えており、万能ではありません。
なので、設定という側面に私という個人を反映させることで、協働してことにあたれるクライエントとの出会いを得ているといえます。
最善を尽くすために、外的・内的設定を大切にしています。
個人開業もそのためと言えます。私だけの空気感を纏った空間です。
破局的側面がないという臨床がないということであって、得意でもなんでもない。
得意なんて言葉を出したので、苦しくなっていた私がいたようです。
えっ、伸びやかさでは?
伸びやかに表現していて、そう思っている私もいるのですが、それだけではないようです。
一つの表現をする。
もうひとつ伝えたい側面があるけど、今はこれをつたえたい。
今はこれを伝えるとに最も意味を感じている私なのだということ。
拡散して集結しました。(笑)(笑)
この笑いを説明する余力が残っていないようです。
少し尻切れトンボになる感じですが、ご了承ください。
インフルエンザも流行り、体調管理にも神経を使いますが、
皆さまにおかれましてもどうぞお身体大切になさってください。
いつもお立ち寄りいただきありがとうございます。